インタービュー
創価大学駅伝部総監督

静岡県御殿場市出身
『スズキ』で実業団選手として活躍
2007年4月本学駅伝部コーチ
2010年11月陸上競技部監督に就任
2013年11月から駅伝監督兼任
2019年2月陸上競技部総監督に就任
勧誘活動の難しさを乗り越え、駅伝部の礎づくりに貢献

2007年にコーチに就任されたときの駅伝部の印象はいかがでしたか。

当時から駅伝部の寮はありましたが、男所帯ですから部屋の掃除が行き届かず、茶髪やピアス、バイクに乗って いる学生もいました。「これが大学の強化指定部か」と頭をかしげた記憶がありま す。まず、選手の生活指導から スタートし、箱根を目指すために、きちんと授業に出席して、練習に励むという生活サイクルを徹底しました。

駅伝初出場までの7年間は、どのような練習を積んできたのですか。

当時の課題は、練習の強化以上に優秀な選手の勧誘でした。ただ、当初は創価大学イコール創価学会という先入観が強く、勧誘に行ってもなかなか話を聞いていただけませんでしたね。私もメンタルが強くないので(笑)、1週間で勧誘に見切りを付けました。その胸の内を先輩に相談すると、「ありのままを伝えればいいじゃないか。堂々と話をするなかで、理解者を一人、二人とつくっていけばいいんだよ」と激励をいただき、気持ちをリセットして勧誘を進めました。現在、全国の高校につながりができ、箱根を経験してからは「選手を送りたい」と声をかけていただくまでになりました。

土台をつくり、礎を築く尊い作業ですね。

勧誘と言っても、学生が高校1年生の頃から追い続けます。当然ほかの大学とバッティングしますから、小さな大会にも足を運ぶことを心がけました。特に印象に残っているのは、網膜色素変形症といって明るい場所から暗い場所に移ると目が見えなくなるという病気を患っている学生がいたのですが、私は彼の高校時代から何度も通い、彼に大学のキャンパスや寮を体感してもらいました。夕方になれば、学生たちが一緒に歩き面倒を見ていましたね。15校からスカウトをされたそうですが、最終的にうちに来てくれました。

レースに絶対はない。最後まで全力で戦う。

そのようなご苦労の末の2015年の箱根駅伝初出場だったのですね。

予選会で10校のうちの10番目に入ったわけですから、選手にとっては爆発的な喜びでした。寮には多くの激励の手紙や品々が届き、キャンパスを歩けば、周囲から「よかったね」ではなく、「ありがとう」という言葉をかけられたことが強く印象に残っています。うちの大学は多くの人の支えで成り立っていますから、その思いに応えられたことは本当によかったと思います。しかし、個人的には喜び以上にプレッシャーが大きかったですね。

駅伝出場の際、伴走車からどのような声をおかけになったのですか。

いちばん多かったのはここでも「ありがとう」です。声をかけられる区間は決まっているので、励ましの言葉になるのですが、タスキがつながった時に「ありがとう!」と声をかけていましたね。4年生にしたら最後のレースなので思う存分走ればいいし、ほかの選手も思い切り行かせました。

これまでで、忘れられないことはありますか。

留学生のムソニ・ムイルが1年生の2017年、全日本学生駅伝の予選会がありました。ひとり10000mを2人ひと組で4組走ります。予選を通過できるのは8チーム。3組終了時点でうちは3位。4組目はセルナルド祐慈とムイルなので間違いなく突破できると思っていました。しかし、ムイルが6000m地点で、腹痛で倒れ救急車で運ばれたのです。手にした切符がスルッと落ちた瞬間でした。レースに「絶対」はないということを肝に銘じましたね。それからは、どんなレースでも全員がゴールするまでは安心せず、最後まで気を引き締めています。

体力・人間力を培い、チーム力で箱根を目指そう

日頃、選手の生活で気をつけていることはありますか。

まず健康管理で、風邪やウイルス性の疾患に気をつけるように声をかけています。極端な言い方をすれば、不特定多数の人が使うトイレや食堂は使わず、きちんと管理された寮を使って欲しいくらいです。朝食と夕食は寮で、体をつくり、気持ちも満足できるものを提供しています。

今後は総監督の立場となりますが、選手たちに何を期待しますか。

2019年、2月に榎木監督を迎え、新体制がスタートしました。監督は大学に来てからは選手に寄り添いながら、着実に指導を重ねています。選手は監督を信じて練習に励むことが勝利への近道です。同時に全国から集まった選手たちと人間関係を築いて、刺激し合ってほしいですね。卒業する選手については、4年間の選手生活で様々な引き出しを作ったわけですから、社会に出て困難に直面した時には、その引き出しを開いて生きる糧にしてもらいたい。

創価大学駅伝部を目指す高校生、またその親御さんへメッセージをお願いします。

創価大学駅伝部は多くの方々から面倒見がいいと言われています。成績が低迷すれば、教職員がきちんと面談をしてフォローしますし、駅伝部は私が学生の成績を管理し、問題があれば職員や保護者と連携して声掛けをしています。私の携帯電話は24時間オープンにして、いつでも親御さんからの連絡を受けられるようにしています。 駅伝部は学生を4年間お預かりして育てる役目があります。学生さんも保護者も安心していただきたい。選手には箱根を目指しながら体力・人間力を育んで社会に出ていただきたい。自分のいる場所で力を発揮して、自己の成長と大学の名前を上げられるよう頑張って欲しいですね。

 

中央大学卒業。箱根駅伝では4年連続区間賞を獲得。
3年次では14回目の総合優勝に貢献。
旭化成工業株式会社入社。
第49回別府大分毎日マラソンで優勝。
2004年OKI陸上競技部コーチに就任。
トヨタ紡織陸上競技部コーチ、監督を経て、
2019年に創価大学陸上競技部駅伝部監督就任。
トップクラスの大学、実業団で走った陸上人生に感謝

榎木監督が陸上競技を始めたのは、いつ頃からですか。

元々は小学校のときに剣道をしていて、体力づくりのために走っていました。校内マラソンで優勝したりするなかで陸上に興味を持ち、中学校から本格的に始めました。中学校でも全国大会に出場したことから、伝統校である宮崎県立小林高校に進学し、3年連続高校駅伝に出場することができました。多くの大学からスカウトされましたが、高校の恩師の出身校である中央大学を選び、先生が走った箱根を走ろうと進学しました。

中央大学では、4年連続区間賞を獲得し、さらに3年次で総合優勝をしています。さぞ厳しい練習を続けたのでしょうか。

3年生までは順風満帆だったものの、そのあとはケガや貧血による不調が続き、練習ができなくなりました。4年生の駅伝を間近に「走れる自信がないので、メンバーから外して欲しい」と監督にお願いをすると、「チームのキャプテンでもあり、お前あってのチームだ」と言われ、本番まで1ヶ月という時期になんとか調整し、走れる状態まで持っていきました。本番当日は風の強い日でしたが、4年連続区間賞がかかっていたため、テレビ中継車がわたしの前を走って、風よけになってくれたという運の良さもあり、区間賞を取ることができました。

大学卒業後は旭化成に入社されています。学生と社会人との大きな違いはなんですか。

当時、旭化成は日本でいちばん強い実業団だったので、大学の実績だけで太刀打ちできるような甘いものではありませんでした。走っても、走っても強い選手がいてトップになれないと悩んだことも事実です。それでも日本一のチームで競技をできたことは、有難かったですね。2000年の別府大分毎日マラソンで優勝しましたが、周りは2時間7分、8分台の強い選手やオリンピック選手がいました。当時の宗監督からは「1回優勝して満足するな、もっと上を目指せ!」と言われたことを覚えています。

学生の純粋な思いに応え、駅伝部を立て直したい

2019年2月に監督に就任しましたが、その経緯を教えてください。

以前から2019年の1月末にトヨタ紡織を退職し、2月から地元の宮崎に帰って、スポーツスクールやイベント事業を行う兄の仕事を手伝うつもりでした。前年の11月に創価大学関係者に初めてお会いして「指導体制を見直して、あらためて箱根を目指したいと考えている」とお話があり、12月に正式に監督就任要請がありました。お話を受ける気持ちは全くなかったのですが、周囲の方に相談に乗っていただくなかで、大学駅伝チームの監督として、勉強し経験を重ねることも大事だと気づき、お受けすることにしたのです。

監督を受ける決め手になったのは、どんなことだったのですか。

駅伝部の神立部長と話をしたときに、「なんとしても創価大学の駅伝部を立て直したい」という強い思いを感じるとともに、久保田コーチやアドバイザーの川嶋さんからも「なんとか力を貸してくれないか」と言われました。わたし自身、未熟な部分はありますが、挑戦することもひとつの道だと思えるようになったのです。神立部長とは、その後ケニアにスカウトに一緒に行ったのですが、2週間、生活を共にしながら、創価大学の考えや創立者の思想などを丁寧に教えていただき、わたしも深く共感することができました。

2月1日に出発式を行っていますが、創価大学駅伝部の印象はいかがでしたか。

ここ2年間、箱根駅伝を逃しているということで、チーム状況は聞いていました。まず2月時点でケガ人が多く、30人の部員のうち3分の2がなんらかの故障をしていましたね。セルフケアが徹底されていないことと、ケガをした場合の復帰プランのシステムが確立されていなかったことが原因です。走れないときは、それなりのトレーニングが必要で、練習開始後1ヶ月経った頃には、3分の2のメンバーが走れるようになりました。 一方で、選手一人ひとりと話していると、「新しい監督のもとで変わりたい、箱根に行きたい」という思いが伝わってきました。私の発する一つひとつの言葉に対して、目を輝かせ熱心にメモを取っていました。練習に入ると、こちらの声掛けを真剣に受け止め、わからないことがあれば率直に尋ねてきます。そのような選手の純粋な思いに応えたいとわたしも思いました。

最高の環境をいただき、必ず結果を出していきたい

選手にとっては高校駅伝を3年間走り、4年間箱根を走った監督への期待感はさぞかし大きいでしょうね。

わたし自身は過去の実績なので、気にはしていません。最初に「これまでのやり方と大きく変わることもあるかもしれないけれど、受け入れてやってほしい」というお願いはしました。同時に「その結果については、わたしが全責任を負う」と伝えたので、選手も練習にしっかり取り組んでいます。

駅伝部を目指す高校生やその親御さんに向けて、監督からメッセージをお願いします。

創価大学の駅伝部を通して人間形成ができれば、わたしも満足です。箱根駅伝は全員が走れるわけではありません。しかし、同じチームにいて箱根を目指すことに価値があります。そこでわたしが培った指導スキルを役立てながら、人として一緒に成長したいと思っています。 創価大学は素晴らしい環境を持っています。整備された寮や提供される食事、練習に集中できるグラウンド。起伏のある地形は、普通に走っているだけで筋力が鍛えられます。最高の環境と大学の手厚いサポートがあり、結果が出ないわけがありません。これからは選手たちとともに、しっかり結果を出していきたいと思います!